2024
28
Aug

ぼくの芸術

カリスマド素人カメラマンと呼ばれて

推しの子を見てたら、アビ子が「もし自分の作ったものが、世界で自分だけしか面白いと思わないものだったら……」って言うシーンあったんですけど、これ久々に刺さりました。

どうも、ぼくです。

基本的に子どもの頃から何かを創り続けた人生だった訳ですが、ぼくが生み出すものを「面白い」と思った人って、本当に「いない」んですよね。皆無ではない。確かに皆無ではないですし、ネットの長足の進歩は、ぼくみたいな市井の自称アーティストの作ったものでも、発表さえすれば誰かに届けてくれる訳です。そして奇特な少数の方々に、多少は好かれるようにはなりました。

しかしあまりにもマイノリティ。

ネットが発達しサイト→ブログ→SNSと発表する場が変化増加したところで、創作物の根本って変わらない訳です。子どもの頃から首尾一貫。絵画であったり音楽であったり写真であったり、触媒は違ってもコアとなるのは日本語なのですよ。うん?この場合は日本語の方が触媒かい?文系だからというか、低学歴なんで分かんないや。

要するに日本語を紡いで、それに何かを足して作り上げる創作を、ぼくは子どもの頃からずーっと続けているのです。それは文章単体であったり、絵画+テキストであったり、作詞作曲であったり、写真+テキストなどで出来上がります。もちろんぼくは、ぼく自身の創作物を面白いと感じています。しかし湧くのはアンチや辛口評論家気取りや、説教厨ばかりという切ない現実です。ずっと続く現実。これまでも、これからも。嗚呼、無情。ジャンバルジャン、頑張るじゃん。

ぼく私立中学に通っていたので、中学受験してるんですけど、小学生の頃に塾で習った「酔生夢死」という言葉に、戦慄した記憶があります。その四字熟語が現実になった時、ぼくは耐えられるんだろうかと、11歳とか12歳で真剣に考えたんですよ。

結果として皆さんご存知の通り、見事に酔生夢死状態の人生を邁進している訳なんですが、先に書いたアビ子の言葉は、酔生夢死という言葉を初めて知った時と同じくらい、ハートに刺さっちゃったんですよね。酔生夢死は諦めた。むしろイキザマに昇華させたと言っても過言ではない(過言です)

だけどこんな世間的には無名で、後世にだって評価されないようなモノを創り続けたって現実を受け止めるのは、ヒジョーに厳しいのですよ。病む。ヤムヤムヤミー、もぐもぐYUMMY!ぼくだけしか面白いと思わないなんて、そりゃないぜって感じです、奥さん。

高校の時、パステル画を描いていたら、彼女に「普通になって!」と泣かれました。県展に出そうとしたら美術教師に止められました。芸術大学では「技術はあるけど今日性がない」と学科長直々にお言葉を賜りました。それでも作り続けてやっと全国紙に取材されたと思ったら、記事の見出しが「ド素人にもアートな世界」「カリスマド素人カメラマン」だったというお粗末具合。

もうワヤですわ。

ま、愚痴っても仕方ないのです。是非に及ばず。ぼくだけは自分が面白いと信じて、これからも創り続けていくだけの話です。