巷に溢れる「オタクミーツギャル」というコミックジャンルは衰退するのか?それとも何かしらブレイクスルーするのか?
オタクミーツガール系の進化先としては、少なくとも二つの道があるように思う。一つは「恋は雨上がりのように」のように、ガールミーツオッサン系だ。これが三人称の俯瞰や女子目線ではなくオッサン一人称になる「オッサンミーツガール」系。何の努力もせず、オッサンが若い女の子に好意を寄せられる物語。「オタクミーツギャル」と根本的に何も変わらない(笑)
もう一つは一歩踏み込んだ「○○ミーツギャル」路線だ。
前回「読者がこのジャンルを読むことで何かに気づいたオッサンオタクであったり、主人公と自身を比較して行動を起こした同世代オタクだった場合はどうだろう?その猛者の中からギャルとオタクの新しい作品を生み出す流れが生まれる可能性はゼロではない」と書いた。
これはどういうことなのか?
「○○ミーツギャル」の○○には、様々な言葉が入る。オタクでもオッサンでも何でもいい。ただ主人公は自ら行動する。要するにギャルが無条件に何もしないオタクを好きにはならない世界の物語だ。
ギャルだから好きになるのではなく、好きになった女の子がギャルだったという世界線。傷つくことを恐れずにギャルにアプローチする男が主人公だ。傷つくことはイコール成長することだと言える。
ギャルという存在は何も特別な存在ではなく、趣味趣向が違うだけで「同じ人間」だと気づけた者だけが行動を起こせる。そんな行動を起こせる人間がオタクのような陰キャではない!と指弾する人はいるだろうが、ステレオタイプのオタクが主人公の物語は、一見万人受けしそうだが、そこには本来の意味での「物語性」はない。
ギャルだって同じ人間だという基本的な考えをもとにして、アプローチの仕方に手練手管を尽くし、その結果ギャルがこちらを向くのだ。アプローチの方法が病的であればサイコパス系になり、一途であれば新しい青春モノになる。転がり方はいくらでもある。どんな方向にも行ける。
主人公は頑張る陰キャ中高生でなくてもいい。むしろオッサンの方が若干のアドバンテージがあると言える。下世話な言い方だが、ギャルを食えるのはオッサンの方なのだ。ギャルと言っても年齢的にはまだまだ子どもだ。大人の余裕こそがオッサンの強みであり、自分のテリトリーで戦うのだ。ギャルというかガキでは敷居が高い店で食事をしたり遊んだりすることで、どんな場所でもホームにするギャルをアウェーにしてしまうのだ。
そういう手練手管(手練手管って言い方は何か違うけど)を駆使する物語に昇華すれば、「オタクミーツギャル」というジャンルにも未来はありそうな気がする。実際既にそういう物語も存在するのだろう。残念ながらAmazonさんは今のところそういう作品をオススメしてくれない。
ぼくが読みたい方向性の漫画をご存知の有識者の方、ご存知でしたら教えてください。