2024
20
Dec

ぼくの芸術, 生活雑感

写真が変わったのか、ぼくが変わったのか

少し前から今まで撮った画像を取捨選択して削除してるんですけど、数年前は本当に人を撮っていたんだなと気づいたぼくです。人を撮ることが好きだったのか、女の子の写真をトレカみたいに集めるのが好きだったのか、今となっては自分でも分かりませんが。

ポートレイトって、ここ2~3年だと、年に一回か二回撮る程度なんですよね。写真の技術や知識は今の方が遙かにある筈なんですが、毎週のように撮影していた以前の方が、良い写真を撮っていたように思えます。機材のチョイスとか撮影場所とか、そういう意味ではなく、もっとメンタル的な何かが作用している感じ?

その何かの正体は不明なんですが、人物写真に限らず、風景などに関しても、昔の写真を見ると似たような印象を持ってしまいます。今撮る日常写真も、決して嫌いではないんですけど、同じように日々生活する街を撮っても、何か違うのですよ。

たとえば街、ぼくの住む大阪市、それも生活圏の難波や日本橋といった場所は、今も昔も撮り続けている訳なんですが、写真を始めた頃と今とで決定的に違うのは、街の風景に人が入ってるか否かだと思います。

もちろん街撮り、街頭スナップな訳ですから、今だって人は写り込みます。ただ今撮る写真に写っている人たちは、単なる群衆なのですよ。大袈裟な表現をすれば、かつて撮ったスナップは人がメインで、その写真一枚の物語性のようなものを表現する力を放っていた気がします。

ほんの十年ちょっと前ですが、肖像権やら盗撮やら、今ほどうるさくなかったのも、人を写せた原因でしょうが、ぼく自身が街頭スナップに主役級の人物を配置したくなくなったのが、一番の理由かもしれません。

自分で撮るモチベがない、しかし、スナップ写真としての魅力を感じるのは、主役級の人物が入ったものなんです。何だこの二律背反。ネットでそういう写真を撮る方を日々チェックしては、ああ良いなぁと感嘆する訳です。昔なら自分も撮りたい!と思った筈なんですが、今はその気持ちがほぼないのが、我ながら不思議でなりません。

見せる人を想定しなくなったのも、写真が変わった原因かもとは思えます。デジタルカメラを手にした時から、毎日毎日飽きもせず、ブログを更新し続けるぼくですが、かつて見せたいと思った誰かはもう存在せず、ぼくは日々、空虚な虚無とでも言えるような場所に向かって、写真を発表し続けているみたいです。

写真が変わったのではなく、ぼくが変わったのかもしれませんね。




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